

History生い立ち
私の人生を変えてくれた英語。
今の私の人生は、英語なしでは考えられません。
そしてそれは、今後も変わることはないでしょう。
これまで英語は、私に様々なことに挑戦する機会を与えてくれました。
1人でも多くの方に私と同じように、英語で人生を豊かにしてほしい。
皆さんのお力になれるよう、そのことに人生をかけて、全力でサポートしていきます。

身体が弱く、シャイガールだった幼少期
私は、1991年8月に静岡県静岡市に生まれました。2つ上に兄がいて、典型的な”やんちゃ”キャラな兄は、スポーツ万能でどこに行っても目立つタイプでした。私はそんな兄とは対照的で、喘息やアレルギーがあり身体が弱く、とてもシャイな女の子でした。親戚等が集まる時でも、みんなに構ってほしいけれど恥ずかしくて自分から話しかけることはできず、兄に隠れているタイプでした。

最初の『夢』を見つけた小学生の時の経験
私の両親は、兄と私に海外で様々な経験をして広い視野を持ってほしいという思いがあり、幼い頃はたくさん海外旅行に連れて行ってくれました。旅行をする際は必ず「クラブメッド」という、世界25か国以上にリゾート展開するホテルに滞在していました。そのホテルには「キッズクラブ」という託児所サービスがあり、世界中から集まる子供達が一緒に、様々なアクティビティを体験し、又は食事をしながら仲良くなっていく、というユニークなものでした。ホテルに滞在中私と兄は、キッズクラブで朝から晩まで世界中の子供達と全力で遊んでいました。そして、クラブメッドには『G.O』(ジェントルオーガナイザー)というホテルのスタッフがいて、彼らは通常のホテル業務だけではなく、キッズクラブの先生や、ホテル内で体験できるアクティビティのインストラクター、ホテルで毎晩行われるショーの出演者として働くというのが仕事でした。どのG.Oもとてもフレンドリーで、ゲスト(ホテル滞在者)にまるで友達のように接してくれました。私たち家族もクラブメッドに滞在すると、毎回G.Oととても仲良くなり、幼い私はそんな彼らが大好きでした。そんな経験から、私の初めての将来の夢は『G.Oになる!』になったのでした。

まるで男の子だった部活漬けの中学性時代
身体が弱かった幼少期でしたが身長が高く、小学校4年生の時に友達に、小学校にあるミニバスのクラブに誘われて入ることにしました。それをきっかけに、身体がどんどん強くなり、アレルギーも改善されていきました。そして性格までまるで男の子のように強くなり、スカートもはかなくなっていきました。小学校卒業が近づいてきたころに、たまたま私の出るミニバスの試合を見に来ていた、バスケの強豪校の監督に声をかけてもらい、バスケを頑張るためにその中学の受験をしました。中学校時代は、バスケに明け暮れた学生生活で、髪型も普通の男の子よりも短髪で、初めて私を見た人は私を女の子だと思わなかったと思います。

夢が変わり、進路を決めた高校時代
私が入った中学校は、中高一貫だったので、高校受験はしませんでした。高校でもバスケ部に入部し、部活動中心の学生生活でした。そして高校から、本格的な英語の授業が始まりました。幼少期の海外での経験もあり、とにかく英語を話すのが大好きだった私は、英語の授業が楽しくて仕方ありませんでした。他の生徒と比べて英語に馴染みがあったからか、月に何度かある外国人の先生が来る授業では、完璧ではない英語力にも関わらず、とにかく彼らと話したくて、何の躊躇もなく一生懸命コミュニケーションを取ろうとしていたのを覚えています。そのくらいの頃から、私の夢は『G.O』からCA(キャビンアテンダント)に変わりました。CAになれば、大好きな英語を使って世界中の人たちとコミュニケーションが取れる!そう思いました。そんな理由から、私は進学先を、東海大学のハワイ校であるHTIC (Hawaii Tokai International College)に決めました。

今後の人生を変えた貴重な経験
高校の部活動を引退したころに、学校にある『SHIP』というプログラムの存在を知りました。『SHIP』は、東海大学のハワイ校に2カ月間滞在し、英語の研修や様々な体験を行う、という語学研修プログラムでした。その頃既にHTICへの進学が決まっていた私に、ある先生が、SHIPの参加を勧めてくださいました。私はその2カ月間、現地の先生達から英語だけの授業を受け、たくさんの学びと刺激を受けました。日に日に自分が英語で自己表現ができるようになり、そこでの学びが楽しくて仕方ありませんでした。SHIPプログラムの始めと終わりに、TOEFLという英語力テストを受けたのですが、スコアが一番上がった生徒として表彰もしていただけました。

ハワイの短期大学は最悪のスタート
2カ月間のSHIPプログラムを終え、私は英語ができるようになった!という間違った自信がついてしまいました。そして、入学までの1カ月間ろくに勉強もせず、遊んでばかりいました。HTICに入学すると、まずTOEFLを受けます。その点数によって、英語力とスタディスキルを養成する予科というクラスに振り分けられるのです。予科には、レベルが1~5まであり、点数が良い子はスキップしてレベル2や3からスタートすることができます。HTICには、私のようにSHIPに参加していた子も多く、ほとんどの子達がスキップしてレベル2や3に振り分けらました。そんな中、私はレベル1に振り分けられました。この結果には、本当にショックを受けました。あれだけSHIPで英語の勉強をして自信もあったのに、一般の子たちと同じスタートになってしまったことに、強い焦りを感じました。

這い上がると心に決めた瞬間
HTICは、アメリカの短期大学として認められているので、卒業後はHTICで取得した単位を持って、提携校である日本か海外の4年制大学に編入できる仕組みになっています。私はHTIC卒業後、本土の大学に行くという明確な目標がありました。入学してすぐにSHIPの時にお世話になった先生に「HTICの後に本土の大学に編入したいなら、宿題をやっているだけじゃ全然足りないよ」言われました。私はそれを聞いて、宿題プラス自己勉強を毎日最低1時間やることにしました。そしてその自己勉強は、入学してから卒業するまで週末はもちろん、バケーションで日本に一時帰国中でも、ほぼ毎日欠かさずやりました。それを大変だと感じたことは一度もなく、とにかく一日でも早く英語が話せるようになりたい!という思いでした。そのお陰か、卒業時にはpresidential award という、その年の卒業生で最も学校に貢献した生徒に送られる賞を頂き、commencement speech(卒業生代表スピーチ)もさせて頂きました。


今までの自信が打ち消されたアリゾナでの大学生活
HTICを卒業後、アリゾナにあるNorthern Arizona University という4年制大学に編入しました。HTICでは成績も良く、英語でのコミュニケーションは不自由なくとれるようになっていたので、ある程度自信があるうえで進学しました。しかし、アリゾナでの学生生活はハワイでの学生生活とはまるで違うものでした。HTICは学生のほとんどが日本人なので、何かあれば助け合えるし、常に周りに日本人がいるという安心感がありました。しかし、アリゾナの大学では日本人がほとんどいなかったので、最初は特にとても不安で、孤独を感じました。助けが必要な時に助けを差し伸べてくれる人はいない、自分で何とかしなきゃ、そう改めて気づかされました。


自分を変えた大切な経験
今でも覚えている留学中の経験があります。あるクラスで、私はいつも1番前の隅の席に1人で座ってました。そこに、一番前の席を陣取っている中国人グループがいて、彼らは正直に言って英語があまり上手ではありませんでした。でも、先生が質問をすると恥ずかしがらずに発言し、アピールしていました。ある日、先生があえて日本のことを話題にしてくれて、私に発言する機会を与えてくれました。でも私にはそれに答える自信がなく、発言することができませんでした。私と同じ立場の中国人の彼らが一生懸命チャレンジしているのに、私にはそれができず、とても悔しかったです。その経験から、恥ずかしさを捨て、自分自身をアピールしなくてはだめだと強く思い、自分の在り方を変えました。グループワークの時は、どの子の発言にもリアクションして、あえて大きい態度を取ってみんなの印象に残るようにしたりもしました。そして、無事アメリカの4年制大学を卒業し、夢が1つ叶いました。

日本に帰国してからの葛藤と気づき
私が帰国し最初に勤めた会社は、ある空間デザインの会社で、社員の半分以上が外国人でした。私は、日本と海外のクライアントとの契約のやり取りや、海外ブランチとのやり取り、総務全般、外国人社員のお世話などをしていました。自分の英語のスキルが生かせると思ってその会社に就職を決めましたが、自分のやっていることに全く興味が持てず、やりがいを感じることができない毎日を送っていました。日々とてもつまらなくて、悩んでいました。そんな毎日を送っている中で「私は英語を使って仕事をしたいんではなくて、英語の仕事がしたい!」そう気づきました。

天職との出会い
そんな時に、英語を教える先生を養成するという協会に出会いまいました。自分が英語をできることは、英語を教えられるということではないので、その協会は独自のメソッドを使った英語の教え方を提供するものでした。私はそこで教え方を習い、個人事業主の英語の先生として英語を教え始めました。とにかく教えることが楽しくて、生徒の方々に「え?もう時間なの?楽しかったです!」「初めて英語ができるかもと感じました!」などと言っていただけると、嬉しくてたまりませんでした。自分のスキルが誰か為になり、誰かの為に全力になれて、そのことを感謝していただける。今までのつまらなかった人生から、充実したやる気に満ち溢れた毎日に変わりました。最初は、英語の先生を副業としてやっていましたが、お陰様で生徒の数が増え、その1年後には英語の先生を本業にすることができました。今でも、教える事への情熱と英語を通じて生徒の皆さんの力になりたいという思いは変わらず、その為に全力になれる日々に、とても感謝しています。まさに英語の先生は、私の天職だと確信しています。



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